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エミール・ベルリナーってどんな人?|現在の音楽業界に大きな影響を与えた男

投稿日:2019年3月31日 更新日:

エミールベルリナー

この記事では、蓄音機の発明者であるエミール・ベルリナーについて解説をしています。

エミール・ベルリーナーはどのような功績をあげ、どのような人生を送ったのでしょうか?

エミール・ベルリナーは何をした人なの?

エミール・ベルリナー(1851/5/20~1929/8/03)はドイツ生まれのアメリカの発明者です。

エミールベルリナーの最大の発明はフラットディスクレコード (イギリスとアメリカ英語で “蓄音機レコード”と呼ばれる)と蓄音機です。フラットディスクレコード、つまりはレコードの円盤ですね。下の画像は1897年にエミール・ベルリナーが開発した「グラモノフォン」です。

円盤

現代では音声や音楽はデータとしてダウンロードされるのが主流で、ワンタップで音声のダウンロードから再生まで行われる時代になりました。

しかし、エミールベルリナーがフラットディスクレコードを発明する以前は、音を保存しておく方法が無かったわけです。

それ以前に「音」を第三者や後世に伝える手段としては何があったかわかるでしょうか?

「楽譜」ですね。

楽譜から蓄音機へ、磁気テープからCD、そして音声データへと、人が「音」を保存し再生する手段はベルリナーが蓄音機を開発してから劇的に飛躍したのです。

その礎となったのがエミールベルリナーです。

エミール・ベルリナーが設立した会社も多数あり、現在の音楽業界に大きな影響を与えています。

エミール・ベルリナーが設立した会社を紹介してみます。

1894年 アメリカ Gramophone Company
1897年 イギリス The Gramophone Company
1898年 ドイツ Deutsche Grammophon
1899年 カナダ Berliner Gramophone Company

イギリスのグラモノフォン社は、日本で音楽事業を行っているHMVのブランドを設立しており、馴染みが深いのではないでしょうか?(現在HMVの日本法人はローソンへ売却されています)

後述しますが、エミール・ベルリナーが蓄音機を開発し会社を設立したことは、現在の音楽業界に大きな影響を与えることとなっています。

エミール・ベルリナーの生い立ち

エミール・ベルリナーは1851年に北ドイツの主要都市の1つであるハノーハーで、ユダヤ人商人の家族に生まれました。商人の家族に生まれたため、エミールベルリナーは商人になるための見習いを幼少期に経験します。

彼の本当の趣味は発明でしたが、彼は生計を立てるために会計士として働きました。

趣味を仕事にするのか、安定を求めるのか、このテーマは1800年代にもあったのですね。

またユダヤ人に育てられましたがユダヤ教ではなく、後に不可知論者(宗教を持たない人)になっています。

1870年、エミールベルリナーが19歳の時に普仏戦争が勃発します。徴兵にとられるのを避けるため同年、ワシントンのお店で働いていた父親の友人とともに、アメリカへ移住するのでした。

その後、エミールベルリナーはニューヨークへ移住し、新聞配達やボトル磨きなどのような日雇い労働で生計を立てながらも、夜にはクーパーユニオン大学で物理学を学びました。

働きながら夜に大学で学ぶあたり、優秀さの片鱗が見られますね。

エミール・ベルリナーのキャリア

蓄音機

大学で物理学を学んだベルリナーですが、いよいよその才覚を発揮し発明家としての道を歩むことになります。

その道は、あのトーマス・エジソンとの争いの記録と言っても差し支えないでしょう。

エミール・ベルリナーとエジソン、電話機の特許争い

しばらく馬預り所で働いたのち、エミールベルリナーは電話と蓄音機の新しい音声技術に興味を持ち、改良版送信機(音を電気信号に変換する機器 )を発明し特許を取得します。

アメリカの2大発明者の一人、グラハム・ベルが興したBell Telephone Companyは、エミール・ベルリナ-をその特許とともに技師として迎え入れます。

当時のアメリカはグラハム・ベルとエジソンが電話機の特許を巡って激しい争いを繰り広げていましたが、このエミールベルリナーの改良型送信機のおかげで、グラハム・ベルはエジソンとの特許争いに勝利することとなります。

ベルリナーはその後1877年にボストンへ移住し、ワシントンに戻り私立研究者として1883年に独立しましたが、それまでBell Telephone Companyに勤務します。また1881年にはベルリナーはアメリカ市民になっています。

エミールベルリナーとエジソン、蓄音機の闘い

電話機の特許で戦ったエジソンとエミールベルリナーですが、二人のの闘いはまだ続きます。今度は蓄音機です。

1877年、エジソンは蝋を筒状にしたものに溝を掘り、音声を記録再生できる装置、蓄音機「フォノグラフ」を開発します。

現代の録音・再生技術はデジタルですが、当時は音声を物体に刻むことで記録をしていたんですね。

一方で1883年に独立したエミール・ベルリナーは、1886年に音声録音方法の実験を始め、1887年蓄音機「グラモフォン」で最初の特許を取得することになります。

グラモフォンは針の水平方向の変調を利用していました。針が、油煙のような抵抗のない材料でコーティングされた回転する円筒面上に線を描くようにして音声を記録します。

エジソンの「フォノグラフ」は実用性のあるものではなく、この蓄音機の闘いもエミール・ベルリナーの勝利に終わります。

米国では、リリースされた楽曲とアーティストを対象にした「グラミー賞」という、音楽業界で最も栄誉ある賞があります。実はそのグラミー賞の名前の由来はこのグラモフォンです。エミール・ベルリナーの蓄音機が音楽業界に多大な影響を与えたということがこのエピソードだけでもわかりますね。

エミール・ベルリナーの米国での不遇

1890年までにエミールベルリナーは、ドイツでおもちゃのグラモフォン(蓄音機)と5インチの硬質ゴムディスクを製造していました。しかし米国での主要な特許は保留中であったため、グラモフォンはヨーロッパでのみ販売されました。

しかしエミール・ベルリナーはおもちゃの蓄音機を開発しようと思っていたわけではありません。

1894年にベルリナーは投資家グループから25,000ドルの資金を集め、United States Gramonophone Company を設立します。エミール・ベルリナーは7インチレコードと実用的な蓄音機の販売を開始しましたが、それはやはりおもちゃのように手動式のものでした。

当時の蓄音機は、円盤に刻まれた物理的な音声記録を針で読み込ませて音声を出力するのですが、その円盤を手動で動かして音声を出す方式だったのです。音声出力は円盤を動かす速度に依存しますので、手動で動かしていては再生が安定しなかったというわけです。

エミール・ベルリナーは、ニュージャージー州カムデンにある小さな機械工場のオーナーであるエンジニアのエルドリッジ・R・ジョンソンと手を組みます。エルドリッジはグラモフォンに適した低コストのモーターの開発を支援し、結果的にグラモフォンの製造メーカーになりました。

着々と蓄音機の改良を進めるエミール・ベルリナーでしたが、落とし穴がありました

エミール・ベルリナーが設立したグラモフォン社は、製造・販売・特許の3つをそれぞれ異なる会社が管理していましたが、そのことが悲劇を生むこととなります。

エミール・ベルリナーはグラモフォンの広告・販売権をフランク・シーマンに与えていましたが、シーマンは自社の蓄音機およびベルリナーの不正コピー商品を販売し始めたのです。そしてなんとベルリナーは自身の米国での製品の販売が禁じられ、Gramophoneという商標の使用も禁じられてしまいます。

その後エルドリッジ・R・ジョンソン1901年アメリカにビクタートーキングマシン社を設立、シーマンの会社を買収し英国グラモフォン社と提携を結ぶこととなるのですが、何にせよ広告・販売権を第三者に手渡してしまったことはベルリナーにとって大きな失敗だったと言えます。

ちなみにエルドリッジ・R・ジョンソンが設立したビクタートーキングマシンは現在のRCAレコードとなっており、現在は・・ソニー・ミュージックエンタテイメントの事業部門となっています。

時代の流れは奇妙ですね。

エミール・ベルリナーのその他の業績

このように、蓄音機の分野で多大な業績を残したエミール・ベルリナーですが、他にも様々な発明を行いました。

布の大量生産のための新しいタイプの織機音響タイル・そしてヘリコプター開発初期段階を築いたのもベルリナーです。

1907年から1926年にかけて、エミール・ベルリナーは垂直飛行技術の向上に専念します。

科学者兼発明者でもあるRS.Mooreをチーフアシスタントとして、ベルリナーはAdams-Farwell自動車の製造業者であるDubuque IowaのAdams Companyから自動車エンジンを入手します。ベルリナーとFarwellは、垂直飛行用に製造された「機械」を完成させるために自動車エンジンの改良に時間を費やします。

エミール・ベルリナーの努力により、重いインラインエンジンからより軽いロータリーモデルへと移行することが可能になり、それは垂直飛行の改善のための6馬力ロータリーエンジンの発明につながります。

1922年7月16日には、エミール・ベルリナーと彼の息子ヘンリーは、合衆国陸軍のためにリコプターを実演します。息子ヘンリーは1925年にヘリコプターの開発に腐心し、1926年にBerliner Aircraft Companyを設立、1929年にBerliner-Joyce Aircraftになります。

こうしてエミール・ベルリナーは親子2代に渡り、ヘリコプターの発明にも大きく寄与することとなりました。

エミール・ベルリナーの死と功績

1929年8月3日、エミール・ベルリナーは78歳の時に心臓発作で亡くなりました。

エミールベルリナーは現在、ワシントンDCのロッククリーク墓地に妻と一緒に埋葬されています。

エミール・ベルリナーがレコードディスク式の蓄音機を開発していなければ、果たしてCDは生まれたのか?もしCDが生まれなかったなら、現在の音声記録再生技術はどうなっていたのか・・・?

そう考えるとエミール・ベルリナーの存在が世界に与えた影響の大きさが深く感じられるのではないでしょうか?

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執筆者:たぬ

              

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株式投資・不動産投資・オプション取引をメインに日々最も安全かつ効率的な投資方法を模索しています。

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